ども、休日なのに眠れなくて無駄に洗濯洗剤とか買い物に出かけてしまった私です。
体を休めるには適度な睡眠と適度な食事と適度な運動が最適だと何かで読みましたので実践してみましたが、続きそうにない自堕落な私。
大学の教授の話
大学の時のゼミの先生がなかなか賢い人(どこから目線だよ)でして、いいことを言っていたのです。
それは「”反証可能性”のある仮説のみを卒論で採用します」というものでした。まあ私はお情けで卒論通してもらいましたけど…。教授ありがとうございます。ちょっと難しくて私も完全には理解できていないのですが、”「それは本当?」という教授の追求に対してデータや理論を元にうまくかわしていくゲーム”ということだと認識しています。
確か「悪魔の証明」とか「白いカラスの証明」なんていう風な言葉も出ていたような記憶がかすかにあります。
簡単にいうと、「鯖缶は健康にいい」という情報があったとします。
それをテレビでみて、ゼミで「鯖缶は健康にいいです」と言います。
そうすると教授は「なんでそう思ったの?」と聞きます。
私は「テレビで放送していたからです。」と答えます。
その「テレビの情報源はどんなもの?」と聞かれます。
「わかりません」と答えます。
「じゃあその仮説は何を根拠に採用したの?」と言われます。
私は黙りこくり、先生の重圧に耐え忍びます。
みたいなことでしょうか?
…なんか違うな。
情報源を明確にしろとは言われましたね。
孫引きはするな、その情報の元の文献をもってこいと。
言いたいことは2つ
1、情報源を明確にすること
2、情報は反証可能性があること
誰かが言ってましたじゃあ理論にならないよ。
とにかく科学的に証明でないことは論理的な価値はないよ。
ということが言いたかったんだと思います。
情報の本質を見極めろゲームか!
この考え方は今の私に生きています。
さっきの鯖缶の話じゃないですが、健康番組では「◯◯が体にいい」とかいう情報をよく耳にしますよね。
教授式に言えば、その情報を目にした時に
「これは何を根拠に言っているのか」
ということを考えなければなりません。これが情報源を明確にすること。
それに対して番組内では「こういうデータがあるから体にいいんだよ」と言ってきます。
しかし
「そのデータは本当にその事実を証明するデータであるのか?」
ということを明確にしないと教授の無言の圧力に負けます。
「〇〇物質が悪い物質をやっつけます」とか言っても、それが鯖缶が体にいいという証明にはなりません。
その事実が本当なのか、研究所に自分で確認し、鯖缶が体にいいならこういうことが起きるはずだという仮説検証して、初めてデータとして利用できます。
仮説検証しても、その事実が”統計学的に有意”であるということを確認できないと突っ込まれます。あの地獄を思い出してきた。
と言ってもこんなことをいちいち考えるのはめんどいので、多くの場合はテレビの情報を鵜呑みにして鯖缶を買いにスーパーへ出かけてしまいます。売り切れか…
毎日卒論書いているわけじゃないから、全ての情報に置いてここまでする必要はないと思いますが、”そういう方法がある”ということを知っているかいないかで、情報の受け取り方が変わると思います。
私は幸運なことに多感な大学生時代にこの考え方をみっちり教え込まれたので、今になっても、教授の「本当に?」「根拠は?」というフレーズが頭に浮かんできいます。プレッシャーです。
別にテレビも視聴者も批判したい訳ではありません。
テレビがそういうことやってくれるから楽しい日常があるし、ちょっと取り入れてみたら日常が華やぐことだってあると思うからです。
そこから楽しい会話が生まれるなら、データがどうのこうのというのは邪魔になるとも思います。
一方で多くの人が一歩立ち止まって「ほんとかな?」と考えることができれば、情報に翻弄される人は少なくなるとも思います。釈迦に説法失礼しました。
スピリチュアル業界の科学的根拠
スピリチュアル業界においては科学的根拠って皆無だと思います。
だからスピリチュアルって分野が存在しているんですけどね。
怪しい情報があふれていますよね。
このツボを買ったら大金が手に入った。
このブレスレットをつけたら異性からモテまくるようになった。
このセッションを受けたら今までの苦労がなくなった。
どれもよく聞くやつですね。
そして多くの人は「嘘だ」と思ってしまいます。
こんな情報が蔓延してるからスピリチュアルって聞くだけで嫌悪感を覚える人が多いのでしょう。
また”ヒッピー文化”や”オウム真理教の活動”などの経験から宗教や超心理世界に不信感を覚えている人も少なくないと思います。
そういう人たちはある意味で正解だし、ある意味では残念ですが。
スピリチュアルって”包丁”のようなものだと思います。
正しい使い方をすれば便利な道具ですが、知識ないまま使おうとすると怪我するし最悪の場合も存在します。
だから、知識がない状態ではむやみにスピリチュアルに触れない方が懸命だとも思います。騙されたり遠回りしたりすることが往往にしてありますからね。
わかる(見える聞こえる感じる)人やそっち方面の勉強をしてきた人なら、ツボを買ったからお金が手に入ったんじゃなくて、ツボはきっかけであなたがそうなるべく努力したから手に入ったんだよとわかると思います。
ちょっと今回の内容から脱線しそうなので、このお話はまた別の機会に。
あ、むやみに恐る必要はないですよ。自分の直感を信じれば間違ったことにはならないですから。自分を信じて優しい心でスピ情報にどんどん首突っ込んで欲しいです。
やっと本題10%理論
今回言いたいのは、
”どんなことにも10%の例外が存在する”
ってことです。
これは本当にそういう事実が存在するということではなく、「そういうふうに考えると便利」ってことです。
例えば「鯖缶は健康にいい」という情報に対して”10%の例外が存在する”と考えます。
すると、ほとんどの人には健康にいいけど、10%には効果がないもしくは健康を害する可能性があると考えることができます。
そうなると、自分には効果がなかった場合に怒りや失望というような感情が湧きにくいと思います。
この理論は”全ての事柄に当てはまる”万能理論だと思っています。
例えば
引き寄せの法則で豊かさを手にできる
新月にお細部をフルとお金が手に入る
自分の好きな映画は高評価だった
職場の上司がムカつく
全ての存在は愛に満ちた存在だ
地球は青い
現在の日本の総理大臣は安倍さんだ
etc…
全て10%例外があると考えます。
普遍的事実だと思えることも一人一人に自分が確認しなければ本当かどうかわかりません。
あるひとは日本の総理大臣は麻生さんだと答えるかもしれません。
本当の地球は金色だと答えるかも?
でも「その人の事実はその人にしかわからない」のであなたがそれを確かめる方法は直接確認するしかありません。嘘を付いていないと前提してね。
科学的にいうと二重スリット理論
スピリチュアル的にいうとマンデラエフェクト
なんていうものも存在しています。
だんだんスピリチュアルと科学の境目がわからなくなってきましたね。
これから先の未来はもっと科学とスピが融合していくと思います。
とにかく自分が思い込んでいるよりも世界は多様性に満ちているということです。
気が楽になりますよ
だからどんなことにも「10%の例外がある」と考えると、幾分気持ちが楽に生活できます。
例えば職場の上司がめちゃめちゃいやなことをしてきて、それを友人に話たとします。
「あいつめっちゃ嫌なことしてくる。うざいと思わない?」
「私はそうは思わないな、むしろあんたが悪い」
って返されたとしても、”ああ、この人は例外の10%だったか”と思えば腹も立ちません。
自分にとっては嫌なことでも10%の人にとってはそうじゃない。そんな可能性が存在しているんだということです。
話す前に10%かな?と思えてたらもっと気分が楽でしょうね。
例えばあなたが好きな映画やドラマ、芸能人も10%はそう思わない人が存在すると思えれば、わかってもらえなくてもイライラしないと思います。
科学分野でも同じです。
薬が聞く人、病気になる人、重力やものの移動と行った”物理法則”まで絶対的と思われることでさえも10%の例外が存在すると予想すると、ものの見方が変わってくるんじゃないかなと。
スピリチュアル分野はもっとそう。
例えば引き寄せの法則も10%。
エネルギーワークも10%。
風水も10%。
神さまも10%。
どんなことにも10の例外です。
そう言えば地球で生きている人間の何%だったかはベジタリアン食が向かない肉体を持っているって聞いたことがあります。多くの人にとっては菜食は体にいいことは事実みたいでけどね。
勇気が湧いてくる!
例外があるってことを頭の片隅に置いて生きれば、とっても便利な生き方ができるということが言いたかったの。
共感されないことへの怒りや失望。
思い通りにならないことへの恐怖。
大勢の人と違うことへの不安。
なんかが軽減されると思います。
それによって、”自分が自分らしくいることに勇気が湧いてくる”とも思います。
大勢の人とは違い自分は10%の方だから一般的な意見は気にすることないんだ!みたいなね。
それでいいんだと思います。
だから今日から「その他10%」を頭に入れて物事を考えられると気が楽になるかもしれませんね。
10%同士で意気投合なんてこともあるかも。
10%を気にするあまり疑心暗鬼になったり、偏屈やろーになったりしてね。それでもいいじゃん。人間だものみつを。
コメント