不変の真実とは

この世界について
人間はいつ死んでもおかしくない。例えば隕石とか。
人間は本当にいつ死んでもおかしくない。例えば隕石とか。

ども、私、銀です。
雨が続きますが、絶賛引きこもり中で影響がない私、銀です。

たったひとつの真実とは

さてさて、我々人間はこの地球で人間として生きています。
生き方はそれぞれ、価値観もそれぞれ、各々楽しく、時に苦しく生きています。
最近私は、体調を崩していまして…っと言ってもコロナではありませんよ。軽い食あたりです。ポンポンペインです。いやまじでいてえ。食いかけのプリン食ったのがまずかったか…くそっ…。

それと前後して、あることに気がつきました。

「この地球を含めた宇宙には、変わらない真実が存在する」

ということです。
この真実は、本当に不変で、帝王学やカバラ、最近では宇宙の法則などと呼ばれている、遥か昔のどえらいひとも理解していた真実です。
そしてその真実は意図的に隠されてきました。
これには理由があり、とても現段階の私が理解し、お伝えすることができるレベルのものではありません。
また、それを理解するには、受け手側にも相応の訓練とエネルギー変化を必要とします。

我々が理解しているかどうかは関係ない

何言ってんだよ、ここまで読み進めた時間返せ!という声が聞こえてきます。
自分でも半分以上何言っているかわかっていません。しかし、それが真実です。

要は、宇宙の不変の真実は、我々人間が理解しようがしまいが、もっと言えば、あなたが何を考え、どこで、何をしていても、私がアボガドの和風パスタを食べ、シャワーを浴びて、クーラーの効いた部屋でだらだら携帯を見ていようとも、関係なく存在し、作用しているということです。
もはやそれは私が死に、あなたがスピリチュアルに目覚めようと変わらないのです。
例えるなら、登っては沈む太陽のように、不変であり絶対的なものなのです。アボガドパスタ美味しかったし、クーラーは26度設定です。ポンポン冷やしすぎないようにね。

その法則の内容は?

とは言っても、不変の法則の内容を理解知りたいですよね。
私も知りたいです。
ごく簡単に明かされたところによると、現在の未熟な私にも理解できることがあります。
不変の宇宙の法則とは

人間は喜びに満ちた人生を送った方が良い

ということです。
まさに論理性のかけらもなく、つかみどころのない内容ですね。納得できるかっ!という話です。

もっと言えば

人間には選択の自由が存在し、喜びも苦しみも自ら選択することができる。

みたいな感じでしょうか。
なんとも訳わかんない感じです。当たり前というか、ピンとこないって感じでしょうか。

気が付いたことはコレジャナイ

冒頭で述べた最近自分が気が付いたことは、こんなわかりやすそうでわかりにくいことではなく、もっとシンプルなことです。
それは、

人間はいつか死ぬ

ということです。
そして

それは”今日かもしれない”という真実です。

死というのはここでは肉体を離れることを意味します。
我々は肉体を離れた後も、魂やスピリットが存在し、活動を続けます。
私は、「死」自体には良いも悪いも存在しないという価値観を持っています。
実際そうです。
どんな人にも平等に死は訪れ、死後も果てしない学びが続いていくのです。
死後の話はここでは置いていおいて、死を前にしてどう生きるのかということにここでは焦点を当てたいと思います。

人は死ぬ

人間はいつか死にます。
それは不変の真実です。
誰でも、人間として生まれたからには、死を避けることはできません。
この真実には例外はありません。100%です。
あとは「いつ死ぬのか」という問題になります。
人間は死を理解できますが、多くの場合忘れてしまいます。
例えば朝起きて一番に「今日死ぬかもしれない!」と考える人がどれほどいるでしょうか?
もちろん自死を考えている人は例外でしょう。
いえ、自死など選択しなくても、今日一日無事に生きることができる保証など誰一人例外なく存在しません。
本当にそうなのです。
今日死ぬかもしれないんです。私もあなたも。
もちろん脅かすつもりもないし、不安に思う必要などありません。
死んでしまったら、そこから次のステージが始まるだけです。
ただ、地球での活動はできなくなってしまうということです。

いつ死んでもいいように生きる

私が言いたいことは、

いつ死んでも後悔しないように生きよう

ということです。
今日の終わりには、いえ、1時間後にはもう命がないかもしれません。
そう考えると、細かい”どうでもいいこと”に時間を使うのは勿体無いと思いませんか?
愛する人や家族、親、友人にありがとうの一言でも言っておきたいと思いませんか?
やり残したことを、少しでも片付けておきたいと思いませんか?
自分の人生を振り返って、これでよかったと感じたいと思いませんか?

大げさでもなんでもなくて、私達はいつか死にます。
それがわかっていながら、私たちはどうでもいいお金のことや仕事のこと、毎日の雑事や関係のない他人のあれこれに時間を使ってしまいがちです。

もちろん人間ですから、毎日の生活があり、生きていくにはお金が必要でそのためには仕事をしなくてはいけません。それも事実です。
ただ、その一挙手一投足全てに置いて、これが最後かもしれないって思いながら行うことができている人がどれほどいるでしょうか?

新型コロナが蔓延する以前の生活では、ただ惰性で、なんとなく、いわゆる「普通」に生きている人が多かったと思います。かくいう私もその一人でした。
しかし、今この新型コロナが蔓延したことにより、明日死ぬかもしれないということがより現実味を増してきました。
ある意味、我々人間がただ惰性で生きてきたからこそ、現在の状況に置いて、命の尊さを実感できてしまうとも言えます。
この命の尊さを改めて感じた上で、今日、今この瞬間から1秒1秒を生きていくことができたら、明日、週末、月末、年末の自分はどんな風に変わっているでしょうか?

さらに言えば、明日死ぬのは自分ではなく、大切な人の方かもしれません。
愛する人、家族、親兄弟、友人全ての人が例外なく死にます。
その真実を毎日意識して生きていかなくてはいけないなと、私は感じたのです。

愛する人達との最後のコミュニケーション

今日死ぬかもしれないという事実を理解して生きると、確実に「他人とのコミュニケーション」が変わります。
大切な人に感謝を持って接することができますし、普段は照れ臭くて言えないような、普段は意識していなかったお母さんの優しい言葉に対してありがとうの言葉や感謝の態度を投げかけることができます。
もちろん相手はびっくりするかもしれませんが、びっくりするからと言って言葉にしなければ、あなたもしくは相手は死んでしまうのですから、なりふり構って要られませんよね。
また、相手からの反応も必要以上に気にならなくなります。
こう思われたらどうしようなどと考えて萎縮していたら、何もできず死にます。
どう思われようが関係ないんです。もう死んでしまうんですから。
少し極端かもしれませんが、これくらいの気持ちで生きていかないと、これからの世界では後悔することの方が多くなるのではないでしょうか?

これは新しい事実か?

こんなことは散々言われてきたことです。
でも我々はいつも忘れてしまいます。

この記事を閉じて5分も他のことを考えてれば確実に忘れます。
それくらい、多くの人間の日常生活はこの大事なことに目を向けないような暮らしになっています。
ですので我々はこれからまた昨日と同じ”日常”に戻るのだとしても、「いつでも死ぬかもしれない」ということを意識できるような仕組みを考えなくてはなりません。
ベッドから見える位置に張り紙するとか、携帯の待ち受けを変えるとかなんでもいいです。(携帯ってもう言わないですね笑スマフォですね)
とにかく今すぐにでも死ぬかもしれないという意識を持って毎日を暮らしていくことが大事だということに気がつきました。

この考えを基礎に持っていれば、例えば転職やパートナーシップ、家族関係や職場の人間関係、毎日の住空間などなんでも、妥協して生きて生き続けることをやめたいと思えるはずです。
何もスーパーリッチでゴージャスな暮らしを送ろうという訳ではなく、無理していることや本当は心地よくないことなど、死を前にして本当に選択したいのかという話です。
明日隕石が地球に衝突するとかいうシチュエーションのアニメや漫画はよく目にしますが、その時人間は仕事は放り出し、愛する人と最後の時間を過ごそうとしたり、思い残すことがないように自分の趣味などを行おうとします。

そしてそれは今この瞬間なんだということです。

今ここに生きていることは奇跡です。
だから、いつ死んでもいいように、大切な人には愛を、やるべきことにパワーを、自分の人生に尊厳を持って生きないといけないなということにようやく気がつきました。
ですので、私は、今日朝起きた瞬間から後悔ないように生きています。まだまだ納得できないけど、死んでしまうと考えたらなりふり構ってられないので、必死に人間やっています。そう感じた昨日でした。

皆さんの日常が、かけがえのない、後悔のない時間となりますよう祈っています。

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