他者に奉仕することは自分のためになるのか?
他者に奉仕することは自分のためになるのでしょうか?
光のワークとか地球のバイブレーションをあげるとか、人間の集合意識を高めるとかなんとか。それらの「人類に奉仕すること」はスピリチュアル世界において外せないテーマとなります。
他者に奉仕することは自分のためになるのでしょうか?
光のワークとか地球のバイブレーションをあげるとか、人間の集合意識を高めるとかなんとか。それらの「人類に奉仕すること」はスピリチュアル世界において外せないテーマとなります。
まずはお風呂の話から。
私は今寮で生活しています。
寮生活ということで、食堂・風呂・トイレは共同です。洗面台と洗濯機もですね。
これからの梅雨の時期は”浄化の雨”が降り注ぎます。
夏の日差しに照らされる前に土地も人も浄化してスッキリとした状態で夏を迎えたいですからね。
私は5月に入ってからとても忙しくなりました。
ポンポンポンと予定が舞い込んできて、 あれよあれよという間に5月は終わってしまいそうです。
どちらがいいかではなくどう違い、どのように調和していくか。 そこにフォーカスすると、お互いの不和も和らぎ、生きやすくなると思います。
逆を言えば、違うこと自体にフォーカスせず、どちらの方がいいとか、自分の考えに同調してもらおうとか考えていると不調和が生まれ易いと言うことですね。それも一つの学びだと思いますが、お互いに取って生きずらい状態だと思います。
今私が向き合っている課題について恥を忍んで書きます。
本題の前に私の個人的な性質について触れておきます。
私は根っからの相手中心タイプで、相手のことから思考を進めていきます。(これについてはまた別記事で書きます)
とにかく相手に尽くすタイプです。それゆえ今までたくさんの苦労をしてきました。
例をあげると
・会社のために身を粉にして働く
・付き合っているパートナーのために自分の時間を割いて家事をする
・親のために世間体のいい仕事をする
などです。
どれも自分から進んでやったことで、それに対して何かの見返りを求めている訳ではありませんでした。
とにかく本質的に自分が犠牲になって相手を幸せにしようとしてきました。
ある意味間違っていないと思います。方法は間違ってますけど。私の魂の性質には奉仕があるらしいので。
ここにきて私はその自分のあり方を見つめ直すことになっています。
直感的にもメッセージ的にも、自分を強く保たなくてはならないと感じています。というより本来の自分を取り戻すといった感じでしょうか。
以前ヒプノセラピーを受けたことがあるのですが、その時のメッセージが蘇ります。
その時は中華風の着物を纏った髭面のおじさんが出てきて、荒れている大地に何か儀式を行っていました。
そしてその人は自分の部下に暗殺されて最後を迎えました。なんとも暗いお話でした。
そしてその人からメッセージをもらいました。それは
というものでした。その時は「立派な髭のおじさんにそう言われたら説得力あるな」くらいにしか理解できませんでした。
今となって意味を理解し始めています。自分を強くね、ウムウム。
これからの時代は自分が幸せになることで、他人を幸せにすることができる時代だと思います。
相手の幸せのために自分が犠牲になってはいけないのだと。
つまりそれは
・家族のためにやりたくない仕事をする
・子供のために趣味を我慢する
・会社のために自分のプライベートでやりたいことを我慢する
といったスタイルはうまく行かなくなっていくんだと思います。
勘違いしないで欲しいのは、自分の幸せを追求することと自己中心的に振る舞うことは違うということです。
本当に心の底から願う自分の幸せを追求すれば、自然と周囲の人も笑顔に幸せになっていきます。
自由意志のところで触れた「あるレベルに達すると、意識は宇宙の意識と同じ方向をむく」ということに繋がります。
自分の魂が望むことは自分が生まれる前に決めてきたことでもあります。それをすることで周囲が不幸せになることは本来的にありえません。もしそんなことが起これば人生の設計ミスですし、神の否定に繋がります。すなわち世界の否定です。
ただ、時代や周囲の人がついてこれない場合はあります。例えば1970年代のヒッピーの人たちは自分が理想とする環境を求めましたが、時代がついてこられずに厳しい環境を過ごしてきました。今の時代で荒ればナチュラル志向、愛と平和を叫ぶことは当時ほどの反感を買うことはないでしょう。とはいえこれに関しても、計画的にやってきたことでトータル的に見れば本人にも地球にも学びがあり、必要なことだったと私は感じています。
そういった場合もありますが、それはよっぽど世界を変革し、破壊していくという使命を持った人出ない限りこれからの時代はありえません。
これからの時代は自分も幸せ、相手も幸せというスタイルが広まっていくと感じます。そうでない場合は何かしらの問題を抱えていくことになるか、自分を見つめ直す状況に陥ると思います。
私の話にもどります。私は相手に尽くすタイプとお伝えしました。
とはいえいくら尽くすといえども、自分にも曲げられない芯はあります。おかしいことはおかしいと言えますし、違うと思えば拒否もします。イエスマンという訳ではありません。我慢強いのともちょっと違うかな。一本芯があるという感じです、
ところが現実の相手を前にすると、どうしても相手を優先してしまいます。相手を慮ること自体は素晴らしいことなのですが、自分の場合は度が過ぎるようです。
「お昼ご飯何食べたいかを相手の食べたいものに合わせる」とか、「家事を自分が行う」程度だったらまあ問題ないのですが、自分の場合は相手のために自分の果たすべき役割を放棄するという状態に陥っているようです。
まあ当然そうなれば自分が決めてきたことを行うことができないので人生の修正をかけられます。それが今の状態です。
そう思って振り返ると自分を中心に選択してきたことが少ないことに気がつきました。完全に今思うとです。見えない何かのために生きてきた感じですね。自分がここにいるのに。
なのでこれからは自分の心の声に耳を傾けて、自分がするべきことの方に進んでいかなくちゃなと気付き、頑張っているところです。うんとこしょどっこいしょ。
相手に尽くすことって表面上いいことのように思えますが、実は相手にとっても害になる場合があります。
例えば料理を代わりに作るとしましょう。これは料理をしてあげることが相手のためだと思って行う場合です。
相手は料理をしなくて済み、その間何か別の頃に時間を使うことができます。一見良さそうに見えますが、実は料理を通した相手の学びを奪っていることになります。
これは極端な例ですが、このように相手のためにと思うことが実は相手の学びを奪う結果になることもあるのです。
過保護な親は子供のために良かれと思ってやっているのと同じ状態でしょうか。
やはりそこにはエゴがあります。
相手のためと言いつつも本当は自分のためなのです。それではうまくいくわけがない。
さらに問題は人生の大きな選択ほど相手タイプの人間は、色々な相手を仮想して判断材料としてしまうということです。
あなたの人生はあなたしか歩めません。もちろん周囲の人が喜ぶ人生はとても素晴らしいものであると私も思います。
しかし、周囲の人の幸せを判断基準にすべきではありません。あなたはあなたでいることが第一の幸せの条件なのです。あなたが幸せになることはあなたの心の奥底から湧いて出てくるものです。それ以外の基準を持ち込むことはあなたの幸せを他の尺度で考えることになります。あなたはあなたを生きればいいのです。
あなたを生きればあなたの大切な人は自然と笑顔になっていきます。それこそが本当の双方の幸せだと思いませんか?
一回全てをまっさらにして、思考でもなくマインドでもなくあなたの魂に問いかけてみてください。
全てを排除してもまだきになるものそれこそが”本当の望み”です。それこそがあなたたらしめる”本当の幸せ”です。
あなたの人生を作るのは誰でしょうか?
これは当然自分であると答える人が多いのでは無いでしょうか。
では明日からあなたが生きたいように生きましょう!というと途端に”うーん”となってしまいます。
誰しもがわかっていながら、心の底から確信していないのがこの「人生を作るのは私」という課題です。
人生は自分のものなのに、自分の思い通りに生きている人は少ないように思います。
それはなぜか?2つパターンがあります。
1、人生の計画としてその経験が必要だから
2、自分人生は自分以外の何かが作ると思っているから
1に関しては人間関係(親子、家族、職場、恋人など)がうまくいかない、仕事がうまくいかない(転職を繰り返す、いい成果がでない、仕事内容が納得いか無いなど)、お金が手に入らないなど、ある特定の学びを得るためにあえてその状況を体験している場合です。この場合は、その学びを習得すれば状況は変化します。逆にいつまでも学べず、同じ思考を繰り返す限り何度も同じ体験を繰り返すことになります。
2はあなたの人生は他の何かが作るものだと潜在意識ないしは顕在意識で思っている場合です。
この場合多くは
家族のために〇〇をしないといけない
今の時代は〇〇は仕方ない
今の社会は〇〇だから仕方ない
この地域。土地は〇〇だから
人生は天使や高次元の存在が助けてくれる(から自分では何もできない)
という思いがあります。
ある意味でこれらの思い込みは当然と言えます。なぜなら現在に到るまでの社会システム上、多くの人に上記のような思い込みをしてもらう必要があったからです。もちろんそれが人々の経験となり、学びとなるので必要なことでした。が、現在は文字通り世界が変革の時期を迎えています。今までの学びから、別の学びへとシフトしつつあります。その状況では上記のような思い込みは必要なくなりつつあります。
いつも思うのですが、人間は本来光の存在で支配されるのが自然の状態ではありません。なのに今の世界では支配構造がとてつもないパワーを持っていて、私たちもそれを当たり前のように受け入れています。もともとの光の状態からこんなに支配が強い状態にするなんて本当に労力が必要だっただろうなと思いますし、それだけの色々な仕組みを施してきたんだなあと感心します。もちろんそれに他意はなく支配がいいと思っている訳ではありませんよ!笑
いたるところで到る人が同じようなことを提案しています。私も例に漏れず提案します。
人生の主権を自分に取り戻してください。
”あなたが願う通りに生きる権利”をあなたは産まれながらにして持っています。これは誰にも干渉することのできないあなただけの権利です。
あなたの人生を社会や家族、友人、その他全ての人に捧げる必要はありません。
あなたはあなたの人生を生きて、満喫してください。その状態こそがあなたとあなたの周りの人を真に幸せにします。
エゴに生きずに、真に自分の奥底から湧きいずる願いを叶えるとき、それはあなたとあなたに関わる全て、さらには集合意識を通して地球上の全ての人々を光へと導きます。
あなたが変われば本当に世界は変わる。
焦らず腐らず心の願いを感じて、本当の自分の人生を生きてください。
あなたをサポートする存在はいついかなる時でもあなたを全力でサポートします。
しかし人生を生きていくのは他でもないあなたです。
あなたが生きてください。他には何もいりません。