どうもどうも。
例のごとく記事更新が絶賛滞り中の私です。
記事更新滞る=自分の変革中という方程式が成り立ちます。
もう大変。ですが、いづれかみなさんにも還元できると思いますので、マイペースに記事更新と人生謳歌を進めていこうと思います。
他人への奉仕って必要?
他者に奉仕することは自分のためになるのでしょうか?
光のワークとか地球のバイブレーションをあげるとか、人間の集合意識を高めるとかなんとか。それらの「人類に奉仕すること」はスピリチュアル世界において外せないテーマとなります。
自分の人生の目的は人類への奉仕みたいな人もいると思います。
そうでなくとも、毎日やりたくない仕事して、地球や人間のために祈って、たまに気晴らししいて、次に何をするべきなのか考えて…こんなことの繰り返しの毎日では人間に奉仕することに嫌気がさす時もあると思います。
もちろんそうでない人もたくさんいると思いますし、それはそれで問題ないので突き進んで行って欲しいと思うのですが、そうでない人や時期(はい、私のことです。)に差し掛かった時にもうなんか全部めんどくせえみたいな感じになることがありますよね。
”自分にとって”
そこで考えて見ました。
果たして他者への奉仕って自分のためになるのか?と。
自分が満たされて初めて他者への奉仕が可能になります。
自分が幸せでない人が他人を幸せにすることは難しいと思うからです。
もちろん手助けはできると思いますが、深いレベルでの癒しや導きは難しくなると思います。
ということはまず自分を癒すこと、そして楽しい人生を生きて満たされることが重要です。
うん。まさにその通り。
まあ普通に人間が生きていく上で、みんなこれをすることを目的として生きていますよね。そこにそれぞれ表現の違いはありますが。
じゃなくて知りたいのは、他者への奉仕って自分の幸せに繋がるのかってことです。
もちろん自分がアドバイスしたことでその人が元気になったり、楽しい人生を遅れたなら嬉しく思えますし、自宅や職場の環境を整えた(スピリチュアル的に)ことで、周囲の人がより過ごし安くなったと感じれば、やってよかったと思います。
もっと言えば、光のワークをしたことによって、その場所やエネルギー、人がいい方向に変化したことを実感できれば、それほど嬉しいことはありません。
人類全体の意識を向上させるみたいなワークはちょっと規模が大きすぎ実感することが難しいかもしれませんが。
それらの奉仕活動って自分の人生が豊かになることに繋がるのでしょうか?
確かに間接的に自分の身の回りの環境が良くなったり、人間関係が良くなったりするかもしれません。
でもそれだけ?
なんかもっとこうお金がたくさん手に入るとか、エネルギー体がクリーンになるとか、サイキック能力が目覚めるとか、いい人に巡り会えるとか…そういう”自分に取っていいこと”に繋がっているのかなと思ってしまうんです。
他人へ奉仕=自分へ奉仕
そこで気が付いたのは、他者への奉仕は究極的に言えば自分への奉仕と同義ということです。
他者に対して奉仕するということは、自分の中の神聖さを深めていくということに繋がります。
自分が神聖であればあるほど、どんな相手の中にも神聖さを見いだすことができ、それに従って相手に接する。そうすることで関係性が変化し、平和に繋がります。それを広めていくことこそが人類の意識のレベルとあげることに寄与すると思います。
この世界はまやかしで、自分の投影でもあります。
究極的には全ては一つであり、相手もまた自分です。
そんな世界であえて他者に奉仕することができる機会を手にしたならば、それは自分の中の神聖さを再認識し、そこに繋がる絶好の機会だと思います。
また、今の時代は自ら意図しようとしまいと、多くの人が人類の意識の変革に関わろうとして活動していると思います。
そんな人たちはどうか、負けないで自分の出来る事を進めて行ってください。
私も自分が出来る事をこなしていこうと思います。
自分が自分らしくある事が一番大切だと思います。
みなさんが満たされ、その周りの人も満たされ、全ての人が満たされていくように祈っています。
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