ども、寒かったり暑かったりで体調管理が大変な私です。
日中は暑いんですけどね。朝晩は冷えるんですよね。でも空気がカラッとしててまるでハワイの春のようです。行ったことないけど。
昼飯の話
今日は従業員証を忘れて出社してしまいました。
初めての経験です。
まあ門のところで手続きすれば普通に入れるので問題ないんですが。
しかし!
大問題が潜んでいました!
なんと”昼食が食べられない”のです!
トヨタでは従業員証で食堂の支払いを行います。
よって従業員証がない人間は昼食に有り付けないと言う自体に直面する訳です。OMG!
私も例に漏れず昼食にはありつけませんでした。
上司からは、「誰かに昼飯代借りればいいんじゃないか?」と言われましたが、プライド高きこの私が他人に頭を下げられる訳もなく、「大丈夫っす」の一言で乗り切りました。
心優しい同僚の方が見かねて「従業員証貸しましょうか?」と申し出てくれましたが、同じように「大丈夫っす」で乗り切りました。ありがとう子濱くん。
そんなことがあった今日でした。
何が言いたいか
何が言いたいかと言うと、”私たちは相当に思い込んで生きている”と言うことです。
私は「期間工は体力を使う仕事だ」と認識していました。
なので「1食でも抜かしたらたちまち力が出なくて仕事ができなくなってしまう」と思い込んでいました。
実際最初の研修の時にも「朝ごはんはしっかり食べましょう」的なアナウンスがあって、それの影響も受けていました。
しかし実際のところ、一口に期間工と言えども配属先や仕事内容によってその内情は様々です。
朝ご飯を抜いた日には力が出なくて仕事ができない部署もあれば、1食くらい抜いても影響ない部署も存在します。
また、仕事の慣れ等も大いに影響していて、自分はどんな状態かと言うことは各人それぞれ異なっているのが現状です。
にも関わらず今日の今日まで私は「1食も抜かしてはいけない」と言う半ば強迫観念的な思考に支配されていました。
食事こそ生活の基盤で、食事こそが勝つための源だと。食事万歳と唱えて特攻していくべきだと。
気が付いた
今日従業員証を忘れて気が付きましたが、1食くらい抜いても平気なんです。
特に私が担当している持ち場はそんなに体力使わないし、何よりも慣れてきているのでそこまで大変な場所ではないです。
だから、昼ごはんを抜きましたが、問題なかったです。
むしろいつもより体が軽いような感覚すら覚えました。
上司にも「なんかいいことあったか?」と聞かれるくらい軽やかに見えたそうです。
仕事中も問題なかったし、晩御飯もいつもの量で満足できました。
常々感じてたんですが、食堂のご飯って油物が多くてちょっとヘルシーじゃないなと。
塩分も多いし、何より愛情がこもっていないので食べ過ぎたら体壊すやつだな〜って感じてます。ただでさえ中性脂肪値が基準値オーバーしてるんで。
よく言われるやつ
話は変わりますが、スピリチュアル界隈ではよく
「この世界は幻想だ」とか
「過去も未来もなく今だけが存在している」とか
「あなたの世界はあなたが作る」とか
そんなことが言われています。
”言いたいことはわかるけど、実感がわかない”って言うのが本当のところです。
言いたいこともわからない時もありますけどね。
ただ、今日感じたことは、”自分の目の前の世界って本当に自分が作っているんだ”と言うことです。
今この瞬間目の前にある現実は自分以外の誰のものでもなく、それを形作っているのは自分自身以外の誰でもないのです。
昼食を抜いたら仕事ができなくなると思い込んで、毎日美味しくも食べたくもない食堂のご飯にわざわざお金を払うことを選択するのも自分自身でした。
それ以外の選択肢は存在しないかのように感じていましたし、そこに疑問の余地はありませんでした。
また、同じように働いている同僚みんなが同じように昼食を取っているので、それに安心していたと言うこともあります。
本当にわかりやすい思い込みのシステムですね。
思い込みの力とそれを利用する人々
私たちは本来自由な存在です。
何にも制限されることのない、まさに神のような存在でした。地球(ここ)に来る前は。
でもこの地球で生きていく上では様々な制限を受けなくてはなりません。
肉体や地球環境、社会システムなど自分では変えられないものも多く存在しています。それがルールですからね。仕方ないです。
一方でその制限をうまく利用している存在もいます。
例えば政府や企業。
お昼ご飯を食堂で食べてもらうことで食堂を運営している企業にお金が入ります。
多くの人に食堂でご飯を食べてもらうことでより多くのお金が運営会社に入ります。
と言うことは食堂を多くの人が利用してくれるようなシステムや刺激を与えることが自分たち(運営会社)の利益になるので、そう言う活動をします。
それが結果として利用者本人の為にならないとしても、自分たちの生活のためと割り切ってそのような活動を行ってしまいます。
これは一例で、私の職場の食堂を批判する訳ではありません。いつも温かい食事をありがとうございまず。
お昼ごはん自体や食堂と言う場所、食事を取るというシステム自体にはなんの罪も意味もありませんが、それをうまく利用すればある特定の人に利益をもたらすことができるということです。
逆に利用者からしてみれば、意識しなければ知らないうちに利用されていることになります。いわゆる搾取です。
これのもっとエグイバージョンが世界では実際に行われていますし、それは現実問題でも存在しています。
また、スピリチュアルな側面から見ても、実は多くの人がそのような搾取状態にあると言うことはよく言われていますし、実際そうです。
まあ簡単に言えばCM一つとっても上記のシステムに相当します。
ちょっと書いててめんどくさくなったし、話がそれてきたので陰謀論的な話はこの辺でやめにしときます。またいづれの機会にでも。
とにかくシステムが存在し、それをどう利用するかって話です。なんだかわかりにくい。
言いたかったのはこれ
私が言いたかったのはいかに思い込んでいるかと言うこと。
思い込まされていると言うこともありますが、自分で進んで思い込んでいると言うことです。
7時の次は8時だと。
今日の次は明日がやってくると。
目が覚めた時同じ自分でいられると。
愛する人は明日も変わらずいてくれると。
全て思い込みです。
思い込みが自分の人生を作り出しています。(←でた!)
人間の人生なんて不確定でわからないことばかりです。
ただなんとなく惰性で同じような思い込みをし続けるのではなく、自分で自分の人生を理想の形に近づけていく。
そのために思い込みを利用するんだと。
人間が3食食べるようになったのはエジソンがトースターを売る為に作り上げたとも、江戸時代の大工さんが始めたとも言われています。
いづれにせよ人間が3食食べるようになったには200年程度の歴史しかありません。
しかし、現代を生きる私たちは1日3食は当たり前でそこに疑問を持つと言うことすらありません。一種の洗脳や刷り込みとも取れます。
人間の体は1日3食食べるようにはできていないのではないでしょうか?
何度も言いますが、私は1日3食食べることもそれを商機として作り上げたエジソンも否定するつもりはありません。
人間には自由があるし、頭使って作り上げたシステムは単純に面白くその姿勢は尊敬に値するものだと思っているからです。
1食分の活動エネルギーや経済効果を生み出すことができるのも根底には思い込みが存在します。
多くの人の思い込みが経済を動かして、活動を起こしているのです。
それを今度は自分で意識して利用していくのはどうでしょうか?
自分が理想とする人生に少し近づけるための思い込み。
とても簡単なことでいいので、昼食を取る度に意識してみてはいかがでしょう?
そう言えば昼飯って食っても食わなくてもいいけど、なんとなく毎日食べてるな。こんな思い込みを自分は何に向けて行こうか。と。
ってな感じで1日1mmでも意識が変化すれば1年後には36cmも変わっています。
愛すべき自分の人生と愛すべき人の為に、無意識を意識的に変えて、素晴らしい人生を思い込む。
それを今日は忘れた従業員証が思い出させてくれました。(ちょっとクサイ)
みなさんが忘れていたことを思い出し、より良い方向へ進んで行かれることを祈っています。
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