水着アイドル歌手に見る表現と葛藤

Pocket

アイドルの様な衣装を着た女性が謎の階段に座る

ども、私です。
最近は雪が降ったりしてクソ寒いですね。立春なのに。
風もめっちゃ強いし、生活しづらいかと思いきや日が長くなってきて春の訪れも感じます。
それはさながら孵化を前にした蛹のような、出産を目前にした赤子のような”新生”を予期させますね。いつになくポエミーな私です。後で読んで恥ずかしくなるやつやこれ。

先日テレビ見てた時の話

さてタイトルの話。
先日テレビ見てたんです。
”水着でライブパフォーマンスをする女性歌手(アイドル)”が出てたんです。
実は私あんまり芸能情報に疎くて、その番組もたまたま付いてたのを見たってだけなんですけど。言い訳じゃないですよ。いや本当に。まじで。ガチよ。

ただ私は最近「自己表現」というワードにに敏感でして、そんな何か表現している人にどんな表現方法があって、それに比べて自分はどんなスタイルかななんて考えたりすることが多いのです。


余談はさておき、そのとき出てたアイドル歌手の人は、歌も自分で作っているそうなのですが、水着でパフォーマンスをすることで自分の歌が薄れるのが悩みだそうです。
水着で歌えばそりゃあ視点が散るよなと思います。

ただ、その人は”水着でパフォーマンスを行うこと”でファンを獲得してきた自覚から、水着でのパフォーマンスをやめたら「ファンを失うのではないか」、「ファンががっかりするのではないか」と気にしていました。
自分の”歌”と”ファンの求めるもの”の間で葛藤していて悩んでいると。

アイドルと自分

はっきり言ってそのときは「やりたいことやればいいじゃん」と思ったんです(失礼)が、自分に落とし込んで考えてみました。

今の自分は”自己表現”をしたいし、動画も作りたいと思っているけど、その先の”受けての人”のことを考えて動きが鈍っているのではないかと。
その状態はアイドル歌手の人と似ているなと思ったんです。

結局そのアイドルは「洋服を着てやってみてもいいんじゃない?」みたいなアドバイスを受けていました。
「やってみて反応を確かめてみたり、自分の気持ちを確認してみたらどうか」と。
「別にだめなら水着になればいいだけだし」と。

まさにその通りだと思いました。
まず試しにやってみたらどうか?
やってみてから、自分のやりたいことと乖離していないかどうかを確認したらどうかと。

おらあアイドルじゃねえだよ

自分は色々な反応を考えてから行動するタイプなので、動き出すのに時間がかかる。
しかも、自分が予想した通りの反応なんてそうそうあるもんじゃない。
だったら、やってみて修正して、またやってみての繰り返しでいいんじゃないかなと。

特に全部自分一人で行うことになる自己表現に関しては、計画を広げすぎても心理的抵抗ばかり大きくなるだけだし、やれる範囲から行動して雪だるま式に大きくしていくこと方が早いし、確実だと思ったんです。

なので、そのアイドルから
「自分もなんでもいいからできる範囲で手を尽くしてやりたいことやっていこうということ」
を学ばせていただいたんですな。有難や。

しかも自分はアイドルじゃないし、ファンの反応や、スポンサーの意向なんかを気にする必要もないので、よっぽどやりたいようにやったらいいじゃんって思ったんです。本当その通り。何気にしてたんだかね。気持ち悪い。

「何を表現するか」が大事

また、
「どんな風に表現するか」
よりも
「何を表現するか」
が大事だと感じました。

結局、上記のアイドルは「歌を表現したい」ということが自分の芯にあったんだと思います。その表現方法に悩んでたって話だと。

これは持論ですが、”ファン”ってその人の見た目や、やっていることが好きな人がファンじゃないと思います。
表現者にとってのファンっていうのは、”自分がしたいことに対して理解がある人”のことだと思うんです。
だから自分のことを無条件に応援してくれる”親”なんかはそういう意味でファンだと思うんです。(ま、応援しれくれればの話ですケド。)

ということは、ファンに合わせて自分の表現方法を変えている時点で、”ねじれ”が生じているといくことなんじゃないかなと思うんです。
なんのために表現してるんだよと。
本当にしたいことってなんなんだよと。

自分にとっての”ファン”に向けて自分がやりたいことを表現していくこと、それこそが”自己表現”なんじゃないかなと思うんです。
今回の一件で自分はそういう価値観を持っていると認識しました。

これは、”対自分”に対する自己表現についてのスタンスで、仕事として自己表現していくとなるとまた意味合いは違ってくるとも思います。
利害関係があって、飯食っていくためにアーティストやっている人はまた違った葛藤や立場はあると思います。金は欲しいが、やりたいことしかやりませんは虫が良すぎるって考えもあるよねと。

垂れ流す自己表現

そしてもう一つ。
私は自己表現に対して、ある程度”起承転結”というか”オチ”があった方が面白いんじゃないかと考えるスタンスをとっています。

しかし、「自分が思ったことを結論は見えていなくても書き連ねる」という表現方法もあるのかなとも考えるようになりました。
そうすることで、自分というものがより明確化するのではないかと。
また、読み返して顔面蒼白みたいな。

なんにせよ、「形ができていなくてもアウトプットすること」で広がることもあるんじゃんみたいな感じ。

せっかく色々考察しても、「頭の中で広がって結局自分だけのもので終わり」みたいなことって結構あると思ったので、せっかくならそれも吐き出してみようと思いましてこんな文章書いてます。最高です。

とまあそんなこんなで、私はこれからワクワクするやってみたいことをとりあえずやってみようと思います。
それに共感してくれる人がいれば幸せです。
頑張るので、乞うご期待!

スピリチュアル関係ねえな。
どうしようかな。まあいいか。

みなさんにとって本当の自己表現ができることを祈っています。

コメントはこちら

Loading Facebook Comments ...

Leave A Reply

メールアドレスが公開されることはありません。