アニメ:ペルソナ4からみる内なる神とシャドウとは

スピリチュアルでみる作品
仮面をつけてるっぽいサル(サル「つけてないよ」)
仮面をつけてるっぽいサル(サル「つけてないよ」)

ペルソナ4!フォー!

ようこそ、我がブログへ。

ども、私です。
最近急に暖かかったり、寒かったりするので体調管理には気を配っている私であります。
降るらしいですね。まじで寒い。
みなさんもどうか体調崩されませんように。

ペルソナフォー!

さて、どうでも良い挨拶はこの辺にして本題。
最近「ペルソナ4」と言うアニメを見ました。フォー!
ペルソナ4のゲームは少しだけやったことがあったので、タイトル自体は知っていました。
まあなんとなく観る機会があったので見てみました。フォー!

一応知らない人のためにざっくり紹介すると
2008年にアトラスより発売されたプレステ2用ゲームソフトをアニメ化したもので、2011年に放映されました。

あらすじ

田舎町に住む親戚の家に一時預けられることになった高校生の主人公が、町で起こる怪奇連続殺人事件の謎と、その裏に潜む異界の存在に仲間達と共に挑んでゆくジュブナイル伝奇。

ペルソナ4Wikipedia

と言う感じです。
内容もまあまあ面白い(と私は思う)ので、スピリチュアラーのみなさんも興味があればぜひ見てみてください。観たことある人ももう一度!ね!

ちなみに私は、ゲームでアトラス作品あんまりやってないので、女神転生とかその辺もよく知らなくて、シリーズの繋がりとか、背景とかもよくわかってナイス。すんません。
ただ、単純に1アニメとして見たってレベルです。

全然関係ないけど、昔国語の教科書に「面とペルソナ」っていう題材あったなあ。よく覚えてないけど。

シャドウ!シャドウ!シャドウ!

さてさて、ペルソナ4観て感じたことがあります。

作中の”シャドウ”ですが、あれは”自分自身”なんですよね。
「本音と建前の”本音”の部分」と言うか。
「本当の自分と現実的自分の本当の自分部分」と言うか。

構造的な話をすれば、私たち人間の人格って本来は1つだと思うんです。
”あなた”と言う存在は”1つ”。(視点によりますが、今ここの私として。)
それが社会的に生きていく上で、多面性を持ち始める。
様々な人間関係のなかで生きていく内に身につける”仮面”

ところが、”本来の自分”と言う人格は1つなので、仮面が深化しすぎると、自分のコントロールを外れることが多くなる。
本当の自分がわからなくなる。
”本当の自分をかけ離れた人格”を演じ続けるのはノットヘルシーじゃないかと。
それは、本当の自分じゃない自分

「社会的に良いとされてる人物」とか
「家族が求める像」とか
まあいわゆる”エゴ的なもの”ですね。

それを自分の気持ちに反して、演じて生きていくことでなんらかの不和を起こす。

そして作中でその不和が具現化したのが”シャドウ”

不覚にも泣いてしまいました

作中で登場人物が「自分が認めたくない本音の部分」を目の当たりにして拒絶するシーンがあるんです。
そしてその「拒絶」のおかげでシャドウが力をつけて暴走がします。
シャドウが「本体であるはずの自分」を飲み込んでしまうと!
要は、”仮面であるはずの部分””自分自身”になってしまうと言うことですね。

作中ではシャドウは本音の部分となっていますが、私はシャドウは本音ではなく、本音だと”思っている”部分じゃないかと思います。
私の言う「本来の自分」と言う定義は、何も足すことも引くこともなく、不安や恐れなどなく、ただ自分自身であることで完璧な存在と言う捉え方をしています。作中の解釈とことなるので、その辺が説明が難しくさせるのですが。



そんな絶体絶命のピンチに、本体の人格は「シャドウも自分の一部である」と認めることでシャドウの力は弱まり、最終的に自分に統合する。
そのシーンを観たとき泣いてしまいまして。そんなに泣くような場面ではないんですケドネ。
「自分で自分を認める」と言うか、「自己統合」と言うか。素敵なことだと。

そこから、”自分”とは何かと言うことを自分で知ること。
自分と他人の境界線を明確にし、自分を生きることこと。
暴走してしまった本音を自分に統合すること。
を学びました。

内なる神はあなた

もう一つ。
主人公の名前が「鳴上 悠」と言う名前なんですが、これ
「内”なるかみ=You”」
じゃないかなと思いました。
そう、神はあなた。あなたは神だと。
シャドウは神の一側面。切り離されたあなた自身。
作中のペルソナと言う主人公が使う能力は、シャドウに対抗する自分の一側面。

誰しもの中に神は存在し、それとの繋がりの強さの程度のみ存在するのだと。
人間誰しもが神の一側面であり、それはあなたが神であることと同義だと。
それが”本当のあなた”であると。

一応言っておきますが、これはあくまで個人的な考えなので、アトラスやアニメ制作の人たちがどのような意図とは関係ありません。
あくまで個人的に感じ、考えた結果なので悪しからず。

とにかくそんなことをこのアニメを観ながら私は感じましたと。そう言うことです。強引

あなたが内なる神に目覚めますように



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