理解されたい、理解できない時に必要なこと

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まずは聞いてあげることの画像。一旦受け入れることが受け入れられるコツ。

なんだか世間は令和とかゴールデンウィークとか騒がしいですが、肉体疲労を癒すことに専念して静かに過ごしている私です。
疲れがやーばい。今こそユンケル!ユンケル買いに行く気力もない。ネットでボタンポチッと押す気力すらない。無気力疲労人間でえす。いえーい。

アドラー心理学

アドラーの勇気づけという言葉を見つけました。
私は以前障害児童の療育の仕事をしていたことがあります。
といっても資格等何も持ってなくて、お手伝いって感じでした。
その時に、教育方法に興味を持ってなんとなく探していたんですが、”アドラー心理学”に当たりました。
詳しくはWikiとか見てみてください。私も勉強不足です。

アドラー心理学Wiki


アドラーってスピリチュアル的な人だったみたいですね。
内容にもスピリチュアル的なことが含まれている部分があるようです。
私はしっかり勉強した訳ではないので、声高にアドラーについて説明することは出来ませんが、かなり惹かれている節があります。
内容もとても共感できるのですが、エネルギー的に強いと思います。

共感ファーストと言う考え

その中で”共感ファースト”という言葉を知りました。
これはアドラーが言ってたのかどうかわかりません。なんとなく言葉だけ知った感じです。(なので理解不足等ありましたら申し訳ないです。)
「共感ファースト」とは文字通り、まずは相手に共感する事です。
これってめちゃ大事だと思います。
人間は個性を持っていて、一人一人違っています。
その中で意見を擦り合わせていかないとわかり合うことは難しいことです。
なので、自分の意見を理解してもらうためには相手の意見を聞いてあげる必要があるのです。

相互尊敬

アドラー心理学に出てきたのですが、人は社会集団の中で生きています。
その集団の中で「各々が自己中心的に振舞って生きていくこと」を全員が選択すると仮定すると、集団のなかで自分もそれ以外の人間も同じ様に自己中心的に振る舞うので、”自己利益のみを追求する集団”となります。
当然自分が困った時に助けてくれる人はいません。生きづらい集団となります。
逆に「集団としてお互いが助け合う」ことを選択すると仮定すると、自分も誰かが困った時に助けるし、自分が困った時には誰かが助けてくれる集団となります。生きやすい集団となりますね。

これって小学校の道徳(って今は言わないのかな?わからんですが)の授業でやるようなわかりきった内容です。 耳タコですね。
にも関わらずなかなか実践できないのが人間ですし、毎日の生活の中で忘れてしまいますね。
もう一度、というか事あるごとに何度でも思い出す必要があります。

自分を押し殺さないで

「集団として助け合うこと」を前提とすると、相手に自分の意見を聞いてもらうためには、まずは相手の意見を聞いてあげることが必要になります。
そこで「共感ファースト」です。
何よりもまず相手に共感します。
そして、そのあと私はこう思うと伝えます。

大事なのは他利益のみが最優先事項ではないということ。
この文章を読んでいる人に多いのではないかと思いますが、よく勘違いしがちなのが「集団や相手を優先するばかりに自分を押し込んでしまう」ことです。
集団の生きやすさを選択する場合、誰かが我慢をして集団の利益に貢献すると、それは他の誰かも我慢をしているということになります。
それは一見生きやすい集団に思えますが、その実裏では我慢の仕合集団です。
形を変えた生きづらい集団となりますね。

なので、自分も相手も同等に生きやすい集団を目指すことこそが真の相互尊敬集団と言えます。
意見が違うことは当たり前として、それをいかにお互い擦り合わせて納得いくポイントを見つけていくか。
そのために先ずは相手の状況や感情、考えを理解してあげる、相手の立場に立ってあげることです。
その上で、自分はこう思うと伝えます。
そのあとお互いの落とし所を見つけていきます。

これが共感ファーストの話です。
アドラー心理学って奥深くて私はとても共感できます。(といっても全然勉強できてないですけど笑)

これからの教育の主流になってもおかしくないと思うんですが、いかんせんスピリチュアル的な要素が強くて大勢の人々は付いていけないというのが実情ではないかと思います。 もっと広まって欲しいなと思います。

引き寄せでなく、自分の選択

こういう相互信頼とか相互尊敬とかのテーマの時に必ず湧いてくるのが「引き寄せの法則」的な「類は友を呼ぶ」的な話です。
要は自分が相手を尊敬したら自分の周りには同じような人が集まってきてハッピーになるみたいな。その逆もまたしかりみたいな。
引き寄せの法則自体がどうのこうのって話は置いといて、たしかに集団として考えた時に相手を尊敬することを集団全員が目的とすれば素敵な集団が出来上がりますが、残念ながら現実はそう簡単ではありません。
以前の記事でも触れましたが、10%は違う人がいる理論が働きます。
自分と全く同じ人は居ないので、自分が気にするところを気にしない人はいるでしょう。
逆に自分が気にしないことを気にする人にとっては自分は嫌な存在になり得ます。
言いたいのは、「自分が相手を尊敬すれば勝手に相手も尊敬してくれるだろう」みたいな他力本願的な考えではアドラーの言ってる相互尊敬の集団は実現しません。

これは自分の考え方の話です。
「自分は他人とのコミュニケーションを取る時には相互尊敬を採用しています。」ってことで、相手にそれを押し付けるのも、また自分がそれを心の中で望んでいるだけというのも違います。

「自分が選択する」のです。

勝手に引き寄せられるのではなく、自分からそう言う関係性を構築できることを選択していきます。
もちろん中には自分とは合わない考えの人もいると思いますが、その人と関わり続けるか、関係性をやめるかそれは他でもないあなたが決めることができます。
とは言っても社会生活していく中では、自分の好みだけではどうすることもできない関係があります。
その時にそ、どうしたら相互尊敬に近ずくことができるかと考えてみましょう。きっと落とし所が見つかるはずです。

人間なんて捉え方一つ

「相手のことが理解できない」と感じたときに、「この人は相互尊敬ができない人だ」と決めつけるといつまで経っても”同じ学びから進歩する”ことができません。同じ様な人と出会い続けることになるでしょう。
大事なのは相手を考える時に自分のエゴに踊らされないことです。
確かに世の中にはムカつく人やうざい人って存在します。
でもそれはあなたにとってのムカつく人であって、他の人からしたら愛すべき人気者かもしれません。
そのどちらも正しくて間違っています。立場が変われば見え方も変わります。
だから、自分の感情に踊らされないで集団としてその人と自分は相互尊重をすることができるかと考えると、イライラの余計なエネルギーを使うことを避けることができます。
エゴに踊らされず、自分と相互尊敬の関係性を築ける人と暮らしていくことがストレスない楽しい毎日を実現する近道です。
ひょっとしたら自分の捉え方一つで世界はガラリと変わるかもしれないしね。

相手を理解したいならまずは共感ファースト。
自分が理解されたいならまずは共感ファースト。


見せかけの共感ファーストなんて意味ないですからね。
たとえ少しだとしてもきちんと共感してあげることです。
最初は難しいかもしれませんが、思考が変われば行動は変わりますからね。心がけることが進歩の始まりです。

みなさんが相互尊敬の関係性を築くことができ、楽しい人たちに囲まれて人生を送れます様に。

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