バレンタインと商業的価値とスピリチュアル

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この子は誰にチョコあげるのかなパパかなそれとも好きな子かなぁお母さんどんな気持ちかなぁ私は何を考えているのかなぁ

今日はぁ〜ヴァレンタインデェー!

ども私です。
今日はバレンタインデー。
バレンタイン当日にバレンタインの記事書いてどうすんねんって思いますが、気になったのが今日なので、チョコ食べ過ぎて喉がギスギスしながら書いてしまいます。嘘です。

ドッキドキのバレンタイン

さて、「バレンタインデー」といえば、女性が意中の男性にチョコレートをプレゼントする日ですね。

特に主役となるのが中高生くらいの女の子。
そのくらいの年頃はこのイベントはドキドキしますよね〜
意中の彼に愛の告白が出来る絶好のチャンス!
なんて素晴らしく都合の良い日なんでしょう!


そして製菓会社も嬉しい日となります。 なにやら日本のチョコレートの年間消費量の20%はこのバレンタインイベントで消費されるようです!
製菓会社にとってもなくてはならないイベントですね。
製菓会社に勤めているお父さんの娘が中高生だったら大変なことになるんじゃないでしょうか?
バケツいっぱいのホットチョコレートを彼氏でもなんでもぶちまけて消費させてこい!みたいな?知らんけど

バレンタインの起源は

さて、そんなバレンタインですが、起源は結構複雑みたいです。
ざっと調べたところによると、

ローマ帝国時代の皇帝セリヌンティヌス2世が、国に妻を残しておくと兵士の士気が下がるという理由から結婚そのものを禁止していました。
当時キリスト教の司祭だったウァレンティヌス(=バレンタイン)は、悲しむ兵士たちのために皇帝には内緒で結婚式を行なっていました。
結局それが皇帝にバレて処刑されてしまいました。
そんないい人だったバレンタインが処刑されたのが2/14だったということで、以後この日がキリスト教としての祭日となり、恋人と過ごす日となった。

とされているらしいです。

が、本来2/14は家庭と結婚の神”ユーノー”に豊年を祈る「ルペルカリア祭」でした。
当時のキリスト教は異教を排除したい意向があり、この「ルペルカリア祭」も排除したかったらしいです。
しかし、ただ禁止するのは反発を招くということでキリスト由来の祭りに変換しようというとし、後付けで”バレンタイン”という人物を作り上げてキリスト教に都合がいいように話を作ったらしいです。

実際史実に基づくと「バレンタイン」という聖人はいたものの、上記の言い伝えに相当する人物は確認されず、現在カトリック教会としては2/14は正式な祝日とはされていないとのことです。
恐ろしやローマキリスト…。

日本の話

その後日本では、戦前から来日していた外国人によって持ち込まれ、1970年から製菓会社のプロモーションに取り入れられ、中高生の間でブームとなって現在のような定着が図られたようです。
現在ではチョコレートも多様化しており

義理チョコ:女性が意中出ない男性にあげるチョコ
友チョコ:女性同士であげるチョコ
逆チョコ:男性が女性にあげるチョコ
自分チョコ:自分が自分にあげるチョコ
強敵(とも)チョコ:男性が男性にあげるチョコ

など、果てしない多様化が進んでいます。
さらに、職場での義理チョコは”環境型ハラスメント”だみたいなこと言い出す人とか、ホワイトデーのお返しがめんどくさいからチョコいらないという人、あげるのも面倒だし、何もいらないからバレンタインデー廃止を訴える人など、カオスの様相を感じられます。

また、欧米では、恋人たちが愛を語らう日と認識されていますが、プレゼントはチョコレートに限らないらしいです。

バレンタインのスピリチュアル的意味

「バレンタイン スピリチュアル」で検索しても、
意中の彼(彼女)をゲットするにはどうのこうの
とか
愛をあげよう
とか
成り立ちなど関係なく愛を振りまくチャンスです
とか…

まあそんな喉がギスギスするような記事しかヒットしませんでした。
中にはチョコに息を吹きかけてからプレゼントすると相手がメロメロになるなんて書いてある記事もありました。絶叫しながら鳥肌を立たせましたね。

えべんととしてのばれんたいん

そこで冷静になって考えてみました。
バレンタインデーの起源自体はとてもいい加減だということがわかりました。
また、現在の形で普及したのも製菓業界のプロモーション戦略だということもみなさん気が付いていると思います。

それではなぜ、バレンタインデーはなくならないのか?
それはやはりこのイベントを大きな商機とみている経済団体の後押しと、それをなんとなくよしとする大衆の雰囲気かなと思います。
なんか調べていくうちに硬い文章ばっか読んだので、硬い文面と頭の中身になってます。
とにかく結論としては、「悪いことじゃないし、なんとなく面白いからいいんじゃない」的な感じで定着しているのでしょう。

スピリチュアル的意味はなんなの?知りたいのはそれよ

私の興味はあくまでスピリチュアル
なぜ、このバレンタインデーに興味を持つかというと、バレンタインデーに少なくともスピ的要素があるからです。
しかしキリスト教のバレンタインさんの話や、全然関係ないチョコの話などもはや鼻くそほどの興味もなく、調べてて途中で自分はなにやってんだとなりました。

しかし私はそこから少しでもスピリチュアルなことがらをなんとか見つけ出そうと思います。無理矢理にでもこじつけてやります。

バレンタインデーに限らず、世間的なイベントというものがあります。
お盆にハロウィン、クリスマスにお正月など他にもたくさんあると思います。
それらに果たしてスピリチュアルな意味などあるのでしょうか?

経済効果が高いものは経済団体がマスメディアを使って大々的にアピールするため、一般的な認知度は高くなります。
しかし、インターネットの普及により、情報の選択が個人的にできるようになりつつあるので、自分の価値観にそぐわないイベントは世間がいくら盛り上がっていようと参加しないという環境になりつつあると思います。

例を挙げれば恵方巻きがわかりやすいでしょうか。
バレンタインが男女の関係を前提としていて、それが鈍ってきたので性別関係なく、また高齢の人にも買ってもらいやすい恵方巻きを押し出したけど、思ったより定着しなかったみたいな?

経済的価値が力を持つ

そしてここからもう一歩。
例えば夏至冬至など、スピリチュアル的に重要とされるイベントはなぜ一般的に認知されていないのでしょうか?
それは結局、経済団体が商機を見出せないため、イベント化せず認知されないということかなと思います。
例えば
「夏至にはアイスを食べよう」
「冬至はゆず料理を食べよう」
みたいなイベント的な要素があれば経済団体がプッシュして一般的に広まっていくと思います。
まあ何れにせよマスメディアが旗振って定着化させるっていう方法ではこれからの時代普及は難しいですけどね。

逆を言えば、どんなイベントごとでもそれをきっかけとして自分と周りを見直して愛に満ちた生活を実現することができれば、イベントがどうあれ楽しく過ごすことができるんじゃないかと。

やっぱりこれだけイベントが大きな力を持つのは、多くの人は日常には楽しみを見出しておらず、ルーティーンの中で何か変化を待っているのかなと思います。

そういう状態に陥らせて、そこに上手にイベントを持ってくることで人々がその状態を続けられるというシステムかな。よくできている。
陰謀論的になってしまいました。オカルトだぁいすきぃ〜

せっかくなら踊らされず、踊ろう

ということで、商業的イベントにスピリチュアル要素を見いだすのは難しいなということになりました。
逆にそのイベントの本当の意味を考えることで、何を感じられるか考えるというのも面白いなと。
ただ、経済団体から与えられる刺激を貪るのではなく、「自分のもの」にできたらいいよねと思います。

私は、成り立ちや、企業の思惑、本当の意味などそれらをわかった上でイベントにのかって楽しむのは大いにありだと思います。
そうすれば楽しみ方も変わるだろうし、
何よりせっかく楽しい”お祭りごと”なのだから「見る阿呆」より「踊る阿呆」でしょう。

みなさんにとって愛にみちたバレンタインデーになりますよう祈っています。

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