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この世界の生きにくさの仕組み〜自由と不平等〜

映画みていました

先日映画を見ていて感じたことがあります。
映画の中の主人公が向かいのビルで働いている人をみてこう言います。
「あのビルの中に自由な人間がどれだけいるだろうか?みんな家族や家賃のためにあそこにいるのさ。でもある時こう思うだろう『こんなこともうたくさんだ』って。それに比べると俺はあの中の誰よりも自由だ。」
これはアウトローな主人公が言うセリフで、要は自分は自由を大切にしているからオフィスビルで働くことなどありえないと言いたいんだと思います。

疑問が…

そこで疑問が浮かびました、果たしてそのビルで働いている人の何人が本当にそこに居たいと心から思っているのかです。それらの人は自分から望んでそのビルで働いているのか、仕方なく働いているのか。
私たちには自由意思があると以前書きましたが、その人達も自らの意思でそのビルにいることを選択していると思うんです。ならばそこに幸せでない要素などあるはずがないと思います。ところがビルで働いている人は何だか退屈そうに見えるのです。
ちょっとなにが言いたいかわかりにくくなってしまいました。要はこう言うことです。
なぜこの世界は”普通に生きる”だけで、社会の奴隷のようになり、自分が思うまま自由に生きられないのでしょうか?
人間は本来光の存在で神の一部であると言われています。それならばただ生きることだけで幸せで豊かに暮らせるはずではないでしょうか?
頑張らないと豊かに幸せに成れないように思えるのはなぜでしょうか?
それは教育によってそのように仕向けられているのかもしれません。
ではなぜそのような教育を受けなければならないのでしょうか?
と言うかなぜ地球は地上の楽園ではないのでしょうか?

そこで気がつきました。

この今の環境は
”純粋に生きていると社会の奴隷的な人生に自然となってしまう社会システム”
なんだと。
要はエネルギーとか神とか何にも知らなくても自分に素直に純粋に生きているだけで自然と素晴らしい人生を送れる社会システムではなく、純粋に生きていると自然に社会の奴隷のような人生を送るようになっているシステムであると言うことです。
でも当然人間には自由意思がありますから、そのようなシステムに従って生きるか、そうじゃない人生を選択するかは本人が決めることができます。
が自然に生きているだけで自由をえられないシステムは不公平だと思いませんか?
平等な条件で社会に従うか自分を貫くか選べるならまだわかりますが、選択しないと自然と社会に従うようになっている状態は完全じゃないですよね。
携帯電話とかの自動更新システムみたいな感じです。よくわかりませんが。
そんな世界だから生きるのがしんどいのは当たり前だと思います。
逆にこんな世界で自分を取り戻そうとするなんてチャレンジャーだと思います。

誰がこんなシステムを?

こんな不平等なシステムをを作り上げたのは誰でしょうか?
多分答えはわかるようでわからないと思います。誰がって神とそれに従う何かだと思います。
現実的に言うとそのシステムで利益が上がる存在がいるんだと思います。そういう存在はこのシステムを維持して拡大しようとすると思います。自由意思の名の下に。まあいいとか悪いとかはないんだと思います。必要のないことって存在しないですから、このシステムが存在すると言うことは、それに意味があると言うことだと思います。
この宇宙のどこを見渡してもこんな経験ができる場所はないんじゃないかなと思います。本来の自分を勝ち取っていくなんて自他の識別のない高次元の世界では到底経験できない貴重なものだと思います。辛いけど。

これからそう遠くない未来の話

そう遠くない未来にはこの不平等なシステムがなくなって、自分が生きたいように生きることが社会的にも周囲の人間的にも自分の魂にとってもよしとされるようになる世界が訪れるのではないかなと思います。
その世界には、そこでしか出来ない経験があると思います。自己表現とか他者への貢献とかかな?
逆に今のこの不平等な状況には、今にしか手に入らない経験があるとも感じます。分離を通した統一とか、自己否定を経験することで自己表現を見直すとか本当の自分を真剣に考え直すとか。

今すべきこと

だから、こんな世界”だからこそ”すべきことは何も考えず純粋に生きることではなく、意識して自分に忠実に生きようとすることです。
自分に忠実じゃない状況を経験することで、自分とは何かを見つめ直し、本当の自分を獲得し表現することがより深いレベルでできると思います。
それに最高に適しているのが今の地球だと思います。
ここは地上の楽園ではないですが、最高の経験の場ではあると思います。

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