どうも、まぶたがピクピク動いてうっとうしい私です。
シリアルとプロテインのみの食生活が祟りましたな。
普通の食事するようになってからだいぶ症状が治りました。
目ピクの正式名称は「眼瞼(がんけん)ミオキミア」っていうみたいです。特殊能力みたいでかっこいいですね。実際はうざいけど笑
怒りについて
さて今日は”怒り”について書いてみたいと思います。
怒りってネガティブに取られがちですが、実際のところ怒りにネガティブもポジティブもありません。
意味づけはいつも人間が勝手に行うものです。
さて、怒りですがこれには大きく分けて2種類あると思います。
1、感情からくる怒り
2、愛に基づいた怒り
これらの怒りが、区別されずに「怒り」として認識されているので混乱を生み出していると思います。
また、今までは混同することができていた環境でしたが、これからの世界ではきちんと区別されていくと感じたのでその話もシェアしたいと思います。
1、感情からくる怒り
「感情からくる怒り」ですが、これが一般的に言われている「怒り」という概念だと思います。
「渋滞で怒っている人」とか、「コンビニの店員さんに怒っている人」とか、なんかそこらへんで怒っている人はこの「怒り」を表現していると思います。
人間は誰しも自分の価値観を持っていて、その価値観と大きく外れた現実を目の当たりにする時の反応として、「悲しむ」もしくは「怒る」という感情が沸き起こります。
その感情をどう表現するかは個人個人の個性によって変わりますが、怒りの感情そのものは人間であれば誰でも感じる自然なものです。
また怒りには「防衛」という性質もあり、自分の身を守るために怒りとして相手に表現することがあります。
人間は「自分の生命や身体に危害を加えられる場合」と「選択の自由を奪われる場合」には防衛をしてもいいというルールがあります。
怒りはそれらルールを守るためのツールとなり得ます。
しかし通常、”感情からくる怒り”の多くは「自分に非があるのに認めたくない」とか、「他人を圧倒し、支配したい」とか、「相手のことを考えないで感情を吐き出したい」などのエゴの部分に繋がることが多いです。
愛に基づいた怒り
愛に基づいた怒りは”相手のためを思って怒る”ことが多いです。
例えるなら「母親が子供のわがままを叱る」のがわかりやすい例かも知れません。
子供の将来を考えて、わがままを許すのではなく、あえて厳しい状況を感じさせることで、結果として子供がそれを乗り越えて大きく成長するのです。
これはある意味スピリットガイドも同じことをしますね。
本人のためにあえて厳しい状況を体験させることで、それを乗り切った先に本人の成長があるんですよね。わかっちゃいるけど、経験中は辛いものです。
怒るという表現より指導の方がより正確な表現でしょうか。
今日の出来事
さて、これを踏まえて今日私が体験した出来事をご紹介します。
私はT自動車で働いています。
もちろん現場作業員ですが、職場の雰囲気はとても良い環境の職場に配属されました。我ながら最高の職場だと思っています。ラッキー!
どうラッキーかというと、一般的に現場作業は親方みたいな厳しい上司が怒号を響かせながら指示を飛ばすというイメージがあると思います。ないか。
それは大げさとしても、多少厳しい指導がありそうなものですが、私の職場は上司が話がわかる人で、多少のミスは笑って許してくれます。
また、組長も話のわかる人で、期間工だろうと正社員だろうと分け隔てなく気さくに接してくれます。
職場の先輩や上司からもこの職場はトヨタの中でもいい職場だと思うよと聞きました。
そんな風なラッキー職場なので、怒鳴り声の1つも聞いたことがありません。
しかし、今日初めて怒鳴り声を聞きました。
「しっかりしろ!」
みたいな大声が聞こえて、見てみると何やら若い人が上司っぽい人に怒られています。
私の知らない部署の人だったので詳細はわかりませんでしたが、後から聞いたところによると、作業でミスをしてしまい、それが後で見つかったので怒られたそうです。
怒られた内容はどうでもいいのですが、”怒鳴られている”という現実に衝撃を覚えました。
何しろ私が結構大きなミスを起こした時でも、この職場では注意くらいで済ましてくれたのに、「同じようなミスで怒鳴られる職場もあるのか」ということを知って改めて自分のいる環境のよさを感じたのと同時に、一歩間違えば自分があそこに居たんだなということも痛感しました。
どころがどっこい
そんなありがたみと恐ろしさを感じながら、上司に「怒られていましたね」と恐る恐る訪ねてみると、上司は「あの人は狂ってくるからね。うちの会社がああいう感じじゃないから安心してね。」という言葉が返ってきました。
私はそれを聞いて妙に納得できたんです。
というのも、その怒鳴っていた人の言葉に”愛が感じられなかった”からです。
よくよく聞くと昔からよく怒鳴る人で、工場長などにも指導方法の変更を指摘されているレベルのやばい人らしいです。
そこで今回の冒頭の話に戻りますが、その怒っている人は感情で怒っているということになります。
話は変わって上司と怒り
ツイッターか何かで読んだのですが、オーストラリアの上司は温和な人が多いらしいです。
外国では怒鳴るような指導をすると感情のコントロールができないと見なされて、出世ができないというのが理由らしいです。
確かに、自分が以前働いていた所の上司にオーストラリア人がいたのですが、温和で怒るということが全然なかったなと思い出しました。
ですが、それは「感情からくる怒り」のみを”怒り”と認識しているからそのような判断になるのであって、部下を真剣に想って愛を込めて𠮟咤激励するのは、一つの指導方法としてあるのではないかと思います。(ここぞ!という時のみ怒るとかメリハリは必要だと思いますけど。)
ただまあ、そういう組織って所属している間は辛いですよね。
組織を卒業した後にありがたみがわかるって感じのことが多い気がします。私はそうでした。
時代の話
そしてこれからの時代はエンパス能力者が多くなってくると思います。
共感能力ですね。相手の感情を読み取る力が強い人です。
そういう人は、この人はただ感情的に怒っているのか、自分や組織のことを真剣に考えて怒っているのかすぐにわかると思います。
今まではそういう目に見えない部分ってごまかしが効いていたと思うんですが、これからの時代はそういうのがすぐにバレちゃうと思います。
人間もエンパス能力にたけてくる人が多くなるし、社会システム的にも嘘がバレやすい世界になっていくと感じます。実際すでに少しなっているしね。
なので、これからの時代はそういう感情任せの人は自分を見つめ直す機会が多くなっていくと思いますし、それは何よりも本人にとっての最高のチャンスだと思います。怒るより笑う方がエネルギーって軽くて広がりますからね。
あのサナトクマラも自分の中の怒りを昇華させるのに4000年?くらいかかったらしいですからね。我々人間はもっとゆっくり進んでいくのではないでしょうか?
まとめ
私は割とエンパス傾向が強くて、怒っている人や悲しんでいる人が同じ部屋にいるだけでなんとなく気分がすぐれなくなります。
そして幼少期には学校の先生や、部活動の顧問の先生などに怒鳴られて育ってきました。ある意味トラウマであり、ある意味勉強になりました。
その経験から、世界はどこかで怒っている人がいるものだという変な世界観を持ったまま成長してしまったのですが、たくさんの素敵な出会いのおかげで今は楽しい毎日を送ることができています。
その時を思うと、怒りを肌に感じることに嫌気がさしながらも自分でその状況を呼び込んでしまっていたところがあったなと感じます。
でもこれからの世界は自分で選択することができるということを私は身を以て体験しています。
もちろん怒りが必要な人には怒りと向き合う(自分、他人問わず)期間が訪れると思いますが、必要がないのに怒りに晒されることは減っていくと思います。
自分が怒りを感じた時は、
・愛に基づいているか?
・怒りの原因は何か?
・どうしたら対処できるか?
を考えて行動できると素敵だと思います。
自分が他人の怒りに接した時は、
・愛に基づいているか?
・なぜこの状況を自分が感じなければならないのか?
・そこから学べることは何か?
ということを考えることができれば、そういう状況に接する回数も少なくなっていくと思います。
なんだか自分の感情を多く語ってしまいましたが、私は元気です。
私のこの体験がみなさんにとって少しても役に立てば、それだけで私の生まれてきた価値があるというものです。目ピクをこらえてよく頑張ったぞ自分。
自分本来のパワフルで優しい状態になるために今現在も修行中の身です。
私は元気ですよ。目ピク以外。
みなさんに穏やかで素敵な環境が訪れ、みなさん一人一人が楽しく毎日を過ごせる世界が広がっていくことを真に祈っています。
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