お風呂で学んだ相互尊重の世界を築くために必要なこと

湯船に浸かるたくさんのお猿さん。気持ち良さそうで見てるだけで癒される。 スピリチュアル的時代情勢
湯船に浸かるたくさんのお猿さん。気持ち良さそうで見てるだけで癒される。
湯船に浸かるたくさんのお猿さん。気持ち良さそうで見てるだけで癒される。
湯船に浸かるたくさんのお猿さん。気持ち良さそうで見てるだけで癒される。

どうも、夏場でも湯船に浸かるタイプの編集長こと私です。
今日も浸かってきました。心地いい〜

共同生活いいとこ、悪いとこ

まずはお風呂の話から。
私は今寮で生活しています。
寮生活ということで、食堂・風呂・トイレは共同です。洗面台と洗濯機もですね。
まあ共同と聞くとなんか不自由で不衛生な感じがしますが、その通りです。
トイレに行くのにわざわざ外履きに履き替えて部屋を出ないといけないし、洗面台周辺が水浸しなこともよくあります。最悪な環境です。
でもいいこともあって、トイレットペーパーは無料で毎日交換してくれますし、共同部分の清掃は業者さんがしてくれます。
それでいて寮費が無料なんですから、まあ多少のことは目をつぶってもいいかなと思ってみんな生活していると思います。私もその中の一人です。

お風呂の話

そんな共同生活の中に”お風呂”があります。
お風呂は、シャワースペースと大浴場スペースに別れていて、好きな方に入れます。
私は湯船に浸かりたいタイプの人間なので、いつも大浴場の方を利用しているのですが、同じような考えの人がたくさんいます。

私が大浴場に入ると、何人か既に湯船に浸かっていたり、体を洗っていたりします。


共同のお風呂なので、基本的に湯船に入る前に体を洗うことがマナーです。
張り紙すらしてあります。
まあ大抵の人はまずは体を洗ってから湯船に浸かっていますが、自分の知っている限り3人は体をさっとシャワーで流すだけで湯船に浸かる人がいます。
まじできもいんですケド。
ただでさえ工場勤務なので、体には鉄粉やオイルや得体の知れない黒い汚れが付着しています。
それに輪をかけて今は夏。汗と油とキモ汁があいまっっているに決まっています。
そんな体がシャワーで流したくらいで綺麗になるわけがない。
すなわち、湯船の中にそれらの汚泥が溶け込んでいるわけです。
私はもちろん体を洗ってから湯船に浸かるので、汚いお湯が体nい付着してせっかく洗った体が汚れてしまいます。しかも知らんキモ男どもの汚れです。まじでやめてほしい。
しかも湯船に浸かるキモ男たちは、湯船から出た後体を洗うんです。
ってことは体が汚いということを自覚しているということですよね?
確信犯かオイ!

正解はない

とまあ、いつもそういう人と同じ時間にお風呂に入ると不快な気持ちになっています。
私が言いたいのは、相互尊重が必要ということです。
今回のケースでは、体を洗ってから入る私は、他の人にもそうしてほしいという思いがあります。
一方洗わない人は、何か思うところがあるのだと思います。例えば体の汚れをお湯で浮かせてから洗いたいとか、湯船に浸かってから体を洗ってでることがパターン化しているなど。

そして、そのどちらが正しいということはありません。
それぞれの世界があり、それぞれのお風呂の入り方があるからです。

では、状況できに弱者である洗ってから浸かるタイプの人が我慢をすればいいかというとそうではありません。
逆に、先に湯船に浸かる人が洗うようになることが正解かというとそうでもないんです。(私的には大正解ですけどね。まじで。)

相互尊重するということ

ここで大事なのは、自分中心の物事の考え方をしないということ。
人は誰しも自分の人生を生きています。それはすなわち、自分の世界で自分の価値観を持って生きていると言い換えることができます。
これは誰でも例外はありません。
自分の人生は自分が作り上げていくものだからです。
そんな人たちが75億人集まって回っているのが地球であり、人類です。
なので、必ずどこかで”違い”が生まれ衝突してしまいます。
しょうがないですよね。違う個体が75億いるわけですから。
ではどのようにしたら全員が気持ちよく自分の世界を生きることができるか?

それは、”相互尊重”です。

私はあなたの世界を尊重します。
私もあなたの世界を尊重します。
そんな2人の世界には、お互いが気持ちよく暮らすことができる落とし所が生まれてくると思います。
どっちかが我慢したり、どちらかが譲歩するのではなく、お互いが譲歩し合い、お互いが意見しあうことどちらも気持ちよく暮らせるポイントを見つけていく。

それが世界平和の鍵です。

おおげさですが、本当です。

組織論とか教育とかいろんなところで、個人が自分の利益のみを求めて活動していく集団はうまく機能せず、全体としての利益に貢献し合う集団は、より豊かに成長していくということが言われます。
本当にそうだと思います。

相手のことを思って行動する人が集まれば、必然的にみんなが助け合い、気持ちよく暮らせる社会が出来上がります。

その逆は、言わずもがなです。


ただ、今はまだ、自分の利益を追求するだけの人が存在している社会なので、貢献的な人は、相手を見極めないといけない時代でもあります。

もう少しすれば変わる

多分もう少しすれば、相互尊重社会が実現するんじゃないかと思います。
それは社会全体というよりも、スポット的なものかも知れないし、あるいは特定の条件下でのみ発動するかも知れません。
もしかしたら小さいかも知れませんが、既に出来上がっているかも知れませんね。

とにかく今は相互理解、相互尊重を深めていくためにはどういう落とし所があるかということを探っていくという考え方を持つことが重要です。
感情に任せてお互いが主張し合うのではなく、相手を尊重し認めつつも、自分も心地よく暮らすためにはどうしましょう?ってことです。

体洗うファースト

お風呂の話に戻りますが、お風呂に関しては体を洗ってから湯船に浸かってもらうことを譲るきはあ1ミリもありません。
全人類は湯船に浸かる前に体を洗うことを義務付けてもいいと思っています。
これに関しては譲歩も理解もありません。
きもいんだよ。みんなの視線感じるだろ。洗え。
あんまり続くようなら、湯船に浸かっているところを後ろからオケで頭をバチコーンと叩きつけるしかありませんね。マナーも守れないようなのは猿と同じです。
猿には体で覚えてもらうしかありませんからね。大事、躾。

ということで、本当は落とし所を探さなければならないのですが、それどころの騒ぎではないです。
私も人間です。弱いところもあります。腹が立つこともあります。
今は腹の虫が治らないので、湯船に浸かった彼らを許すことはできませんが、時とともに解決に向かってくれることを祈っています。とか言って明日もそいつらと鉢合わせたら発狂してしまうかも知れません。いや本当きもいんですよ。湯船にキモカスが浮いててみ?犯人目の前にいてみ?モンゴリアンチョップじゃすまないよ。

全人類が体を洗ってから湯船に浸かるようになることを祈っています。

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